私がレズ作品に道具を使って欲しくない理由は一言、
「愛情が感じられない」
私がレズ作品に求めるものは見た目のエロさはもちろんですが、レズビアンの関係である二人の間に「愛情がある」ことが大前提なんです。
ヘタでも一生懸命自らの手、指、唇、舌を使って愛撫すれば相手を気持ちよくさせたいという感情(すなわち、それが相手に対する愛情)が伝わってきます。道具を使うということは自らの手によっては気持ちよくさせる自信がないのでそれに頼っているのだと感じられる、あるいは手間を惜しんでいるようにも思えてしまいます。
そもそも、レズのそれに限らず、SEXというものは肉体と肉体との絡み合いであるはずです。本来のSEXは子孫繁栄のために生物に必然的に備わったもので、その必然的な行為には苦痛があるがために行為に至らないのでは困るので快楽というものが与えられたのでしょう。
そこには肉体以外のものは介在する必要はないはずです。
突飛な表現かもしれませんが、レズのSEXはプロレスに例えられると思います。
肉体と肉体のぶつかり合い、ワザと技の応酬(テクニック合戦)によって観客は酔いしれるのです。
肉体以外のものを使っての試合は本来望まれてはいないでしょう。何を使っても良いという特別ルールのデスマッチ等は別として。
ここで言うワザとは「性感帯」をどう攻めるかです。女性は全身が性感帯と言われています。極端な話、男性はそれぞれ個々人固有の性感帯というものはあるでしょうが、ほぼ、男性器が全てといっても良いでしょう。
女性の場合(じつは男性もでしょうが)、女性器のみならず、オッパイ、乳首、耳、首筋、背中からつま先まで、気持ちよくなれる部分が多くあり、そこを攻めることによって快楽を与えることが出来るでしょう。
ですから、攻めのバリエーションは豊富にあり、道具を使用しなくとも、人に備わっている手、指、唇、舌でも充分に満たすことが出来るはずです。
そしてまた、 「女性同士の肉体の絡み合い」こそがレズならではのやらしさ、美しさであると思うのです。
先ほど、レズのSEXはプロレスに例えました。
私には道具を使うということはプロレスに関心のある方々ならばお解りいただけるとは思いますが、まるで、 アメリカプロレスの世界チャンピオンが、フォール負け、ギブアップ負け以外ではタイトルの移動はないというルールの下で、試合中八方ふさがりとなり、反則ではないですが、自らリングアウト負けを選んでタイトル防衛したのに似ているような感じがします。
道具を使用しなくとも、人の持つ身体部分を使って相手を快楽に導くことが出来るのに道具に頼ってしまうということは「自ら放棄、逃げた」とも考えられると思うのです。
ただ、私も、道具を使うことに全面否定というわけではなく、使い方によっては許せる場合もあります。
基本、電マ、ローター、バイブ、巨大ディルドーを使った場合、絡み合う双方の身体が離れてしまうことがほとんどです。私がレズSEXに視覚的に最も求めるものは「密着感」です。
双頭バイブ、ローター、バイブをあくまでも快楽に導く補助的役割として使うならば、例として、お互いにローターを相手の性器にあてがい、または、双頭バイブを挿入し、ギュッと抱き合ってキス、身体を擦りつける等の行為をすることには異論を挟む余地はありません。
私がそれで興奮した作品にFAプロの「誘惑されて脅迫されて・・・女教師と教え子の同性愛同棲」という作品があります。
レズの関係にある二人の先生が素っ裸になり、双頭バイブを椅子の脚に固定し、向かい合って双頭を二人で挿入し、そしてギュッと抱きしめながら腰を激しく振って果てるというシーンでした。
レズの基本は「指」でしょう。
昭和の偉大な小説家の一人、松本清張氏の作品に「指」という作品があります。過去幾度となくテレビドラマ化され、記憶に新しいところでは先頃エイベックスに移籍した後藤真希さんが主役で放映され、DVDでも出ました。
この作品は幼い頃貧しく育った少女が若手人気女優にのし上がるため、レズの関係を利用して自分を同姓として愛してくれた女性を死に至らしめるまでに翻弄して、結果、自ら墜ちていくという話です。
話はそれますが、この松本清張氏は実際にあった昭和の疑惑事件を題材に小説という形を使って問題提起した作品、「日本の黒い霧」「小説帝銀事件」などを書かれています。
こういった自らの調査を下にした作品を書かれた方ですから「指」という題名はレズビアンに深く関わりのあるキーワードであると考え、綿密な調査を下に付けられたと考えられ、レズビアンにとって要(かなめ)となるものなのでしょう。
本物のレズの方は指の爪は短く切っておられるということであり、とくに、他の爪は伸ばしていても人差し指と中指だけは短く切っているそうです。
このことからも「指」はレズビアンにとって重要なものであり、それを充分に使って愛撫することがレズビアンのSEXの基本なのでしょう。
また、以前に見たレズAV作品の中で、「レズのタチ女性は道具を使って相手をイカせることはプライドが許さない」というお話も聞いたことがあります。
私は道具否定でここまで持論を続けてきましたが、矛楯するかもしれませんが、道具を使う作品まで全否定するつもりはありません。
またまたプロレスに例えて恐縮ですが、結構前のことで覚えておられない方もおられるでしょうが、FMWという現参議院議員の大仁田厚さんが旗揚げした凶器何でもありのデスマッチをメインにした団体がありました。
今回話題とされているところのレズ作品に関していえば、この団体にあたるのが「CROSS」や、「アンナと花子」であると言えるでしょう。ここは道具使用、特に巨大ディルドーが多く使用されているメーカーですが、これはこれで支持しておられる方も多くおられ、それが、CROSSとコンセプトがほとんど変わらないアンナと花子の発足につながるほどニーズも多いのでしょうから、こういったメーカーがあっても良いと思います。興味なければ見なくても良いのですから。
しかし、今回私が問題としているところは「先輩と私」という道具の必要性が感じられない、前回記事でも述べました「女子校生ものに道具はそぐわない」シリーズに道具が出てくるということは少なくとも私にとってはショックな出来事でした。
たしかに、初期の「先輩と私」にも道具使用はありました。しかし、当時は女子校生レズものが少なかったこと、それまでに他社で出ていた女子校生レズ作品には普通にバイブやローターが出ていたのでそれほど違和感、嫌悪感はなかったこと、そして、何よりも出演者が無名で、「もしかして本当のレズビアンではないか」というリアリティを醸し出すほどの本気度の高い絡みによって道具使用も凌駕していたのです。
いまや今回の出演者の方の出演履歴もわかり、出演作もレズ作品だけでないことは判ります。レズに特に思い入れがある、特別「レズが大好き」な方ではないでしょう。
ですから道具使用というだけで否定してきたような私ですが、今回の「先輩と私」も道具使用も気にならないほどの絡み、筋を展開していただけている作品であることを熱望します。
もし、やっぱり道具使用しなければ成立しなかったのかという作品であればその時には改めて私の考えを整理したいと思っています。
「愛情が感じられない」
私がレズ作品に求めるものは見た目のエロさはもちろんですが、レズビアンの関係である二人の間に「愛情がある」ことが大前提なんです。
ヘタでも一生懸命自らの手、指、唇、舌を使って愛撫すれば相手を気持ちよくさせたいという感情(すなわち、それが相手に対する愛情)が伝わってきます。道具を使うということは自らの手によっては気持ちよくさせる自信がないのでそれに頼っているのだと感じられる、あるいは手間を惜しんでいるようにも思えてしまいます。
そもそも、レズのそれに限らず、SEXというものは肉体と肉体との絡み合いであるはずです。本来のSEXは子孫繁栄のために生物に必然的に備わったもので、その必然的な行為には苦痛があるがために行為に至らないのでは困るので快楽というものが与えられたのでしょう。
そこには肉体以外のものは介在する必要はないはずです。
突飛な表現かもしれませんが、レズのSEXはプロレスに例えられると思います。
肉体と肉体のぶつかり合い、ワザと技の応酬(テクニック合戦)によって観客は酔いしれるのです。
肉体以外のものを使っての試合は本来望まれてはいないでしょう。何を使っても良いという特別ルールのデスマッチ等は別として。
ここで言うワザとは「性感帯」をどう攻めるかです。女性は全身が性感帯と言われています。極端な話、男性はそれぞれ個々人固有の性感帯というものはあるでしょうが、ほぼ、男性器が全てといっても良いでしょう。
女性の場合(じつは男性もでしょうが)、女性器のみならず、オッパイ、乳首、耳、首筋、背中からつま先まで、気持ちよくなれる部分が多くあり、そこを攻めることによって快楽を与えることが出来るでしょう。
ですから、攻めのバリエーションは豊富にあり、道具を使用しなくとも、人に備わっている手、指、唇、舌でも充分に満たすことが出来るはずです。
そしてまた、 「女性同士の肉体の絡み合い」こそがレズならではのやらしさ、美しさであると思うのです。
先ほど、レズのSEXはプロレスに例えました。
私には道具を使うということはプロレスに関心のある方々ならばお解りいただけるとは思いますが、まるで、 アメリカプロレスの世界チャンピオンが、フォール負け、ギブアップ負け以外ではタイトルの移動はないというルールの下で、試合中八方ふさがりとなり、反則ではないですが、自らリングアウト負けを選んでタイトル防衛したのに似ているような感じがします。
道具を使用しなくとも、人の持つ身体部分を使って相手を快楽に導くことが出来るのに道具に頼ってしまうということは「自ら放棄、逃げた」とも考えられると思うのです。
ただ、私も、道具を使うことに全面否定というわけではなく、使い方によっては許せる場合もあります。
基本、電マ、ローター、バイブ、巨大ディルドーを使った場合、絡み合う双方の身体が離れてしまうことがほとんどです。私がレズSEXに視覚的に最も求めるものは「密着感」です。
双頭バイブ、ローター、バイブをあくまでも快楽に導く補助的役割として使うならば、例として、お互いにローターを相手の性器にあてがい、または、双頭バイブを挿入し、ギュッと抱き合ってキス、身体を擦りつける等の行為をすることには異論を挟む余地はありません。
私がそれで興奮した作品にFAプロの「誘惑されて脅迫されて・・・女教師と教え子の同性愛同棲」という作品があります。
レズの関係にある二人の先生が素っ裸になり、双頭バイブを椅子の脚に固定し、向かい合って双頭を二人で挿入し、そしてギュッと抱きしめながら腰を激しく振って果てるというシーンでした。
レズの基本は「指」でしょう。
昭和の偉大な小説家の一人、松本清張氏の作品に「指」という作品があります。過去幾度となくテレビドラマ化され、記憶に新しいところでは先頃エイベックスに移籍した後藤真希さんが主役で放映され、DVDでも出ました。
この作品は幼い頃貧しく育った少女が若手人気女優にのし上がるため、レズの関係を利用して自分を同姓として愛してくれた女性を死に至らしめるまでに翻弄して、結果、自ら墜ちていくという話です。
話はそれますが、この松本清張氏は実際にあった昭和の疑惑事件を題材に小説という形を使って問題提起した作品、「日本の黒い霧」「小説帝銀事件」などを書かれています。
こういった自らの調査を下にした作品を書かれた方ですから「指」という題名はレズビアンに深く関わりのあるキーワードであると考え、綿密な調査を下に付けられたと考えられ、レズビアンにとって要(かなめ)となるものなのでしょう。
本物のレズの方は指の爪は短く切っておられるということであり、とくに、他の爪は伸ばしていても人差し指と中指だけは短く切っているそうです。
このことからも「指」はレズビアンにとって重要なものであり、それを充分に使って愛撫することがレズビアンのSEXの基本なのでしょう。
また、以前に見たレズAV作品の中で、「レズのタチ女性は道具を使って相手をイカせることはプライドが許さない」というお話も聞いたことがあります。
私は道具否定でここまで持論を続けてきましたが、矛楯するかもしれませんが、道具を使う作品まで全否定するつもりはありません。
またまたプロレスに例えて恐縮ですが、結構前のことで覚えておられない方もおられるでしょうが、FMWという現参議院議員の大仁田厚さんが旗揚げした凶器何でもありのデスマッチをメインにした団体がありました。
今回話題とされているところのレズ作品に関していえば、この団体にあたるのが「CROSS」や、「アンナと花子」であると言えるでしょう。ここは道具使用、特に巨大ディルドーが多く使用されているメーカーですが、これはこれで支持しておられる方も多くおられ、それが、CROSSとコンセプトがほとんど変わらないアンナと花子の発足につながるほどニーズも多いのでしょうから、こういったメーカーがあっても良いと思います。興味なければ見なくても良いのですから。
しかし、今回私が問題としているところは「先輩と私」という道具の必要性が感じられない、前回記事でも述べました「女子校生ものに道具はそぐわない」シリーズに道具が出てくるということは少なくとも私にとってはショックな出来事でした。
たしかに、初期の「先輩と私」にも道具使用はありました。しかし、当時は女子校生レズものが少なかったこと、それまでに他社で出ていた女子校生レズ作品には普通にバイブやローターが出ていたのでそれほど違和感、嫌悪感はなかったこと、そして、何よりも出演者が無名で、「もしかして本当のレズビアンではないか」というリアリティを醸し出すほどの本気度の高い絡みによって道具使用も凌駕していたのです。
いまや今回の出演者の方の出演履歴もわかり、出演作もレズ作品だけでないことは判ります。レズに特に思い入れがある、特別「レズが大好き」な方ではないでしょう。
ですから道具使用というだけで否定してきたような私ですが、今回の「先輩と私」も道具使用も気にならないほどの絡み、筋を展開していただけている作品であることを熱望します。
もし、やっぱり道具使用しなければ成立しなかったのかという作品であればその時には改めて私の考えを整理したいと思っています。
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